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「KOTENRA個展 – Flower moment -」再延期のお知らせ

6月にHULS Gallery Tokyoにて開催を予定しておりました「KOTENRA個展 – Flower moment -」は、来年2021年3月に再延期となりました。 当初の2020年3月開催予定から6月に日程を変更し、開催を目指しておりましたが、新型コロナウイルス感染拡大防止のための緊急事態宣言を受け、再延期を決定いたしました。 詳しい日程は決まり次第、当ギャラリーのウェブサイトでお知らせいたします。 インスタレーション形式の展示を企画しておりましたので、お客様に安心してご来場いただける時を待ちたいと思います。度重なる延期となり申し訳ございませんが、何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。

2020-05-08T00:26:48+00:002020/05/08|

臨時休業期間延長のお知らせ

日頃よりHULS Gallery Tokyoをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。新型コロナウイルス感染拡大防止、および政府からの緊急事態宣言を受け、お客様と従業員の安全と社会的責任を考え、5月6日までとしていた休業期間を再度延長させていただきます。 再開時期については、ウェブサイトやSNSにてお知らせいたします。お客様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解いただけますようお願い申し上げます。なお臨時休業期間中は、電話対応を一時休止させていただいております。 臨時休業期間:2020年4月8日より(再開時期:未定) ギャラリー期間中は、特設オンライン注文フォームより、厳選した商品のご注文を受け付けておりますので、お気軽にお問い合わせください。 ・特設オンライン注文フォーム https://hulsgallerytokyo.com/orderonline/

2020-05-06T02:42:35+00:002020/05/06|

第12話「茶器のすすめ」

工芸品を語る上で欠かせないものといえば、酒器と並ぶものに茶器がある。陶磁器の急須・茶碗に始まり、銅製の茶筒、竹製の菓子皿に漆の棗など、様々な素材の工芸品がお茶に関わる道具として、私たちの日常の中で用いられている。私自身も一つ一つの工芸品を学ぶにつれ、お茶への興味が自然と深まってきた。 お茶は中国で生まれたものであるが、日本茶の歴史も長い。800年代には、遣唐師が中国よりお茶の種を日本に持ち帰ったとされ、その後、千利休が「茶道」を完成させ、庶民の間でもお茶が普及し始めたと言われているが、そこから現代までも400年以上の歴史がある。日本の美意識の一つとして語られることの多い茶道だが、様々な工芸品がその道を共に歩むことで、互いに影響し合い発展してきたと言っても良い。 私自身が茶器に興味を持つことになったきっかけは、佐賀県有田の李荘窯による宝瓶との出会いにある。宝瓶とは、取手がない茶器のことであるが、一般的には見慣れないこの茶器の美しさに引き込まれてしまった。宝瓶は、片手で持つものであり、玉露や煎茶など、低温でお茶を淹れるのに最適なものだ。傾けやすく、お茶の旨味が凝縮されている最後の一滴まで注ぐことのできるところにも特徴がある。宝瓶は、自らで使ってみるとわかるが、淹れるときの所作や動作を綺麗にしたい気持ちにさせる。最後の一滴を淹れるまでの間、背筋が伸び、呼吸を落ち着かせてくれ、心までもゆったりとした気持ちになる。 ギャラリーでは、急須の一大産地である常滑焼の茶器も取り扱っている。急須には、取手の位置が異なる「横手」「上手」「後手」という三つの種類があるが、横手型の急須というのは日本特有の茶器であることはあまり知られていない。中国茶は後手型が一般的とされる。常滑の茶器としては、急須を専門とした作り手である伊藤成二さんの作品を扱っているが、伊藤さんの朱泥の作品は色、形が共に美しく、見ているだけで惚れ惚れしてしまう。常滑で淹れていただいた伊藤さんのお茶は、伊藤さんの性格を映し出しているようで、柔らかく優しい味がした。こんなところも、お茶の魅力なのではないかと思う。 工芸の世界と同じく、お茶の世界もまた深い。緑茶の王様と呼ばれる玉露に始まり、抹茶、煎茶、焙じ茶など、丁寧に淹れて飲むと、それぞれが別の飲み物と言ってよいほどに個性を味わえる。また、お茶は、朝・昼・夜によっても、季節によっても、味わい方は異なり、茶器を含めたその組み合わせは、際限がない。私自身、お茶の世界にまだ足を踏み入れたばかりだが、長い時間をかけて、ゆっくりと学んでいきたいと思っている。 文:柴田裕介 作品:「S宝瓶 錆千段」/李荘窯 [...]

2020-04-27T00:53:35+00:002020/04/27|

ニュースレター購読のオンライン受付開始

HULS GALLERY TOKYOの公式サイトにて、ニュースレターの登録ができるようになりました。 ニュースレターでは、最新の情報をお届けしています。 新作の入荷情報、展示会情報などをメールでお受け取りになりたい方はぜひご登録ください。 https://hulsgallerytokyo.com/newsletter/

2020-04-17T00:15:35+00:002020/04/16|

新型コロナウイルス感染拡大に伴う休業のお知らせ

日頃よりHULS Gallery Tokyoをご愛顧いただき、誠にありがとうございます。 新型コロナウイルス感染拡大に伴い、お客様および従業員の安全確保のため、 以下の通り休業期間を設けさせていただきます。 休業期間:2020年4月8日(水)~4月18日(土) 変更などが生じた場合は、ギャラリーホームページやSNSにてお知らせいたします。 お客様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解いただけますようお願い申し上げます。

2020-04-06T06:01:59+00:002020/04/06|

第11話「工芸とサステナブル」

ここ数年、頻繁に世の中で使われるようになった言葉の一つに「サステナブル」がある。「持続可能な」という意味を持つこの言葉は、地球環境や社会問題に向き合うことの大切さを教えてくれ、日々の暮らしの中でも、耳にすることが増えてきた。しかし、あまりに多用されてしまっているがために、「サステナブル=環境に良いこと」という意味で安易に人々に伝わってしまっているような気配があり、自分なりに「工芸におけるサステナブルとは何か」を考えるようになった。 私にとってサステナブルとは、時の移ろいについて想いを巡らせることから始まる。今すぐに、地球環境や社会問題に対して深く考え何かを実践することは難しいが、まずは、昔の暮らしはどうだったか、そこから今ではどのように変化したか、これから先はどうなるのかと、時の移ろいに想像力を働かせることを大切にしたい。子供の将来を思えば、自分の怠惰な暮らしは是正したいと思うだろうし、親の時代を思えば、今の時代がどんなに恵まれているかを知ることができる。時代の変化の中で、生きるために本当に必要なものはごくわずかであるが、人として生きている限り暮らしの進歩を追い求めたくなる欲もある。そんな相反するものを上手に調和させながら、社会全体のことを考え行動することが、サステナブルの第一歩であろう。 工芸品は、時間をかけて作り上げ、時間をかけて使い込んでいくものだ。私自身は、唐津のぐい呑や、開化堂の茶筒、上質な柿渋染の革財布などは、静かに経年変化を楽しんでいる。使い込むうちに、愛着は増し、やがては自分と一心同体のものにすらなる。そんなところにこそ、工芸の世界のサステナブルが見え隠れする。工芸品の経年変化を通じて、時の変化を意識し、そこに一つの美意識を生み出す。長く文化が繋がれてきた島国の日本ならではの考え方でもある。今の時代が良いものであれ悪いものであれ、変化していくことを意識することができれば、その道は明るい。まずは、今このときだけのことを考えるのをやめ、昔や未来の暮らしを想像してみる。それは、工芸を通じて広がる世界の一つであろう。 天然素材を主とする工芸品であるが、そうであるからサステナブルだというのは、一つの側面でしかない。工芸品は、素材としては天然のものであっても、簡単にリサイクルをしたり、すぐに土に返るものでもない。物を作ることは、人の生きる証でもあり、簡単に手放すことのできるものではないが、だからこそ、その一つ一つを手に取り、愛着を持つことがまずは大切な一歩になる。また、時代の波に流されることのない息の長い魅力が詰まっていることも、工芸の価値の一つであろう。石器時代の暮らしに戻ることはできないが、祖母が大切に使っていた帯を次の時代に繋げることならできる。そういうことが、私にとってのサステナブルなのだ。 テキスト:柴田裕介 作品:「柿渋染 長財布」/ブルックリンミュージアム [...]

2020-04-27T00:53:43+00:002020/03/27|

第10話「不揃いの中の美」

現代の工芸品の魅力の一つは「不揃いであること」と言って過言ではない。陶磁器であればろくろや窯変、木工品であれば木目、色糸であれば草木染めなどによって、世に二つとないものが生み出される。世の中は、大きく進歩し、画一的なものに囲まれた暮らしが当たり前になった。そんな中で、一点一点異なる工芸品というのは、特別な意味を持つようになってきた。 不揃いではあるが、不出来ではない。それが工芸のあるべき姿であろう。工芸の世界では、右が左に比べて優れているか劣っているかという価値基準があるわけではなく、あくまで個々一つ一つが美しいかどうかが求められる。もちろん、ガラスのコップであれば、気泡が多くあれば不具合品とみなすこともあるが、それ以上に触れ心地や飲み心地が良いかどうかが作品としての価値を大きく左右する。 私はデザインの経験があり、白紙の上の線が縦に真っ直ぐであるかどうかや、文字が真ん中にあるかどうかをすぐに気づくことができる。頭の中に「違和感のスイッチ」があるといっても良いかもしれない。ただ、工芸品を見て、二つの違いが気になるかというとそういうことはない。おそらく、一般の人々のほうが、そうした違和感に敏感だろうと思う。人も同じだが、隣と比べて良いか悪いか、どれほど揃っているかどうかという議論はさほど心地の良いものではない。不揃いであっても、そこに個別の美しさがあるかを見極められるかどうかが審美眼ではないかと思う。 ただ、工芸の世界において、手仕事だから、この程度で良いだろうという妥協も好ましくはない。大量生産品が主流を占める時代に、不揃いなものに価値を見出してもらうには、大量生産品には、負けない魅力を込める必要がある。不揃いであっても、個々の美を自信を持って語れるかどうか。そこに工芸としてのこだわりが必要なのだ。 現代の暮らしにおいて、無垢材の家具は贅沢なものになり、オートクチュールのドレスは希少になった。工芸品も同じく、その差異は小さくとも、世に二つとない個性を潜めている。それはつまり、作品一つ一つに向き合うことであり、その一つが壊れたら悲しいと思うことであろう。そんな気持ちが、物を大切に使うことの第一歩なのだ。 テキスト:柴田裕介 作品:「信楽 茶椀 」/澤克典 [...]

2020-04-27T00:53:14+00:002020/03/16|

第9話「ワインと工芸品の共通点」

ワインについて、それほど多くの知識があるわけではないが、葡萄の種類や産地の特徴、ヴィンテージの存在など、ワインのことを深く知るにつれて、ワインと日本の工芸品には通じるところがあるのでないかと思うようになった。 ワインは、「天・地・人」によって生まれると言われることがある。この「天・地・人」という言葉は、ブルゴーニュ在住の日本人醸造家である仲田晃司氏が使用した言葉であり、ワインというものは、気候という天の恵があり、土という大地の特徴があり、そこに人の知恵や技術が加わり、生み出されるということだ。「天・地・人」その全てが上手に組み合わさることが最高のワインの条件とされる。海外では「Terroir(テロワール)」という言葉もあり、こちらは地理や気候による土地の特徴を言い表した言葉である。工芸品にも、「天・地・人」や「Terroir」という言葉と同じような性質がある。土地の風土やそこにしかない素材に、人の技が加わる。それら全てが組み合わさることが、美しい工芸品には欠かせない。 ワインは、歴史深く、世界で最も愛される国際的な飲み物の一つだ。5大シャトーのようなワインであれば、美術品と同じような値がつくこともある。ワインがこれだけ世界中の人々を魅了するのは、単純な葡萄の味だけではないだろう。たった一本のワインから、天地の恵みや時の移ろいを感じるところに、その奥深さがある。また、そうした土地や年代の特徴を知ることで、味の違いがわかるようになり、ワインを飲むたびに、どこかを旅するような気持ちにさえなることが、人々を虜にする。 工芸も同じで、私自身、磁器と陶器の違い、木材の違い、産地の文化・歴史など、産地を歩きながら少しずつ蓄えた知識・経験によって、工芸品だけでない物事全般の見方・捉え方が広がってきた。今まで、存在すら意識しなかったグラスは、今では水をも味わう道具となり、暮らしの価値を大きく変えてくれた。その変化は、私の中では、とても大きなことだ。ワインに興味を覚えたのもほぼ同時期であるが、残念ながらまだワインの産地には訪問したことがない。世界の産地を歩いてみたい。そんな夢も膨らんでいる。 日本でもワインの人気は年々高まっており、ワイングラスに取り組む工芸メーカーも増えてきた。意外な接点がありそうなワインと日本工芸。これから先の一つの工芸の道となるのかもしれない。 テキスト:柴田裕介 作品:「たおやか ワイングラス 」/百色 [...]

2020-04-27T00:53:03+00:002020/03/12|

第8話「美術品と工芸品の違い」

ギャラリーでは、工芸品を取り扱っていることをお客様に伝えると、美術品との違いを聞かれることがある。工芸品も「美術工芸品」と称されることがあり、美的価値があるという点で、大きくは美術品の一種であるが、一般的には、美術品というと鑑賞目的が強く、絵画や彫刻のことを指すことが多い。 一方、工芸品は実用性が重視され、「暮らしの道具」であることが基本となる。例えば、漆器の汁碗であれば、どんなに加飾が施されたものであれ、汁椀として使用することを想定して作られている。今では、芸術的価値の高くなった抹茶椀や九谷の赤絵作品などは、時に実用性を度外視した作品もあるが、それは本質的には工芸品とは言えず、美術品と呼ばれることになる。鑑賞的な美しさも併せ持つが、使うことで育っていくのが、工芸品の最大の魅力なのである。 また、工芸品は、「伝統工芸品」や「雑器/雑貨」と呼ばれることがある。私自身は、このギャラリーを始めるときに、「伝統」という言葉と「雑器/雑貨」という言葉を極力使わないようにと心に決めた。器や織物を取り扱う日用品店は時に「雑貨屋」と呼ばれるが、丹生込めて作られた品を雑貨と呼ぶことには大きな抵抗がある。また、伝統的であることばかりに重きが置かれ、今の暮らしに合わない品を売り込むことにも違和感がある。そしてまた「アート」という言葉も多用することを避けるべきだと考えている。英語では「Art」という言葉は多義的であり、芸術作品だけでなく、精神性や生き方をも含むものであるが、日本での「アート」という言葉は、やはり見た目の「芸術性」という意味合いが強く感じられ、工芸の趣にそぐわない。 その点では、かつて柳宗悦氏が民藝運動の中で「用の美」という言葉を用いたのは、工芸の世界に置いて、何よりも重要なことであった。工芸というものに新たな命を吹き込んだと言ってもいい。さらに、現代の工芸は、人が生み出すものでありながら、自然や地域性との接点が欠かせないところに、美術品とは異なる面白さがある。自然と共生した地域でのものづくりが当たり前だった時代から、時代は大きく移り変わり、日本の地方文化の奥深さが再認識されようとしている。 個人的には、美術品であれ工芸品であれ、どのように解釈しても、どのように使用してもかまわないと思っているが、「工芸」という言葉の本質を深く追求していくことで、作品の見方・捉え方が多様になることは、多くの人に知ってもらいたいと思っている。私たちは、デジタルのものに囲まれ、全ては数学のように、正しい答えがあることに慣れすぎてしまっている。自然の領域は曖昧であり、答えは人が導き出すものでないからこそ、そこにわかりきらない気づきがある。工芸品は、一人の人間による一作品ではない。全ては連なりの中から生まれているところに、捉えきれない美が潜んでいるのだ。 テキスト:柴田裕介 作品:「金襴手彩色 陶筥」/錦山窯 [...]

2020-04-27T00:52:57+00:002020/03/07|

「KOTENRA個展 – Flower moment -」延期のお知らせ

3月13日よりHULS Gallery Tokyoにて開催を予定しておりました「KOTENRA個展 - Flower moment -」は、新型コロナウイルス拡大予防のため、6月に延期となりました。 延期後のスケジュールが決まりましたので、お知らせいたします。 この度は急なイベント延期となり、ご迷惑をおかけいたしますが、よろしくお願いいたします。 KOTENRA 個展 [...]

2020-03-03T08:18:25+00:002020/03/03|