第7話「酒器の魅力」

近年、海外では日本酒の人気が高まってきている。日本の和食文化の広がりとともに、「酒=Sake」や「ぐい呑=Guinomi」に詳しい外国人も増えてきた。酒器は茶器と並び、「用の美」を代表する工芸品の一つであり、多くの方に日常で使ってみていただきたいと思っている。 酒器には大きく分けて「盃」「お猪口」「ぐい呑」とがある。「盃」は中心が窪んだ皿状のもので、「お猪口」はお酒を飲むための小さな器のことを呼ぶ。「ぐい呑」はグイッと飲むことからぐい呑と呼ばれ、一般的には猪口よりも少し大きめの器のことを指す。日本酒を注ぐ道具としては「徳利」と「片口」とがあり、海外では徳利を用いて熱燗でお酒を飲むことが少なく、冷酒に使いやすい片口のほうが一般的だ。 酒器といえば、「備前の徳利、唐津のぐい呑」という表現がある。焼締による窯変の力強さが特徴の備前焼と、陶器として絵唐津、朝鮮唐津、皮鯨など様々な技法のある唐津は、どちらもどこまでも深い魅力を持っており、長く人々を魅了してきた。酒器は、焼締や陶器以外にも、磁器、ガラス、漆器に錫など、様々な酒器があるが、酒器はお酒との相性があり、お酒によって酒器を変えてみるのも楽しい。冷酒か熱燗か、純米か大吟醸か、辛口か甘口かなど、どの酒器を選ぶかによって、お酒の味わいが大きく変わってくる。例えば、純粋にお酒の味を楽しみたい方には、薄手の白磁のお猪口や装飾のないガラス製のシンプルな酒器をお勧めしたい。装飾を施していないものは、お酒の味に集中することができる。反対に、酒器の質感もあわせてお酒を楽しみたい方は、陶器のぐい呑や切子の作品などが良いだろう。特に、唐津や志野、織部などのぐい呑は、溶けた釉薬が絶妙な風合いを出し、呑む楽しさと眺める楽しさを同時に与えてくれる。舌触りを重視する方は、輪島塗の漆器や木製の酒器も試してみてほしい。 日本酒は料理と合わせていただくのも良い。フレンチやイタリアンなどでも良いが、やはり四季の食材を活かした和食と共にいただきたい。豪華な料理でなくても、日本には様々なおつまみがあり、それに合わせて、季節の日本酒をいただくのは、旬の贅沢と言える。酒器は、日本酒によっても、料理によっても、変化が楽しめ、その組み合わせは無限に広がる。ギャラリーには、酒器やぐい呑を集めるのがお好きで、定期的に足を運んでいただくお客様もいる。一点の酒器を愛し続けるのも良し、様々な酒器を買い揃えて使い分けるのも良し。工芸品を通じて、酒器の深い世界に足を踏み入れて見て欲しい。 テキスト:柴田裕介 作品:「暁(白)徳利/ぐい呑」/徳永榮二郎 [...]

2020-02-10T00:41:59+00:002020/02/01|

第6話「木地の山中」

「木地挽き」と言えば、石川県の山中温泉が思い浮かぶ。ろくろを用いながら、木を削り出して形を作っていく「木地挽き」は、円形のお椀(椀物)に最適な技法だ。キーンと大きな音を立てて削り出していく姿は、迫力があり一見の価値がある。石川県の漆器は、「木地の山中、塗りの輪島、蒔絵の金沢」と表現されることが多く、山中で生まれた木地は、山中漆器のためだけでなく、輪島や京都など、日本各地の漆器の産地にも供給されている。 山中の木地の最大の特徴は、「縦木取り」と呼ばれる木の取り方にある。木取り(きどり)には、縦木取りと横木取りとがあり、縦木取りは輪切りにしたのちに垂直方向に木を切り抜く方法で、横木取りは木を横にした状態で切り抜くという違いがある。横木取りは最大限に木を活用できることが特徴である反面、強度に欠点がある。一方、縦木取りは、木が育つ方向に逆らわずに木取りするため、変形が少なく、それが薄挽きを可能とする。また、山中の木地挽きは、細かな削り出しを行うことで模様を生み出し、加飾を施すこともできる。「加飾挽き」と呼ばれる山中の技法は日本一と称され、その技の数は数十を超えるとも言われる。その一つに「千筋」と呼ばれる木に細かな筋を入れていく技法があるが、測りを用いず、目視のみで、精密な筋を入れていく技には、驚きを隠せない。 こうして出来上がる木の器だが、用の美としての楽しみは、やはり実際の木目を楽しむことであろう。ギャラリーでは、木製の作品をご購入いただくと、在庫が複数ある場合、在庫品の中から、お好きな木目のものを選んでいただく。これはお客様に木目の多様さを感じていただく大切な時間だ。いくつかの木目の違いを見ていただくことで、自然の豊かさを感じることができるし、その中から選び抜いた品には、特別な愛着を持っていただくことができる。 日本の食文化では、味噌汁や吸い物などの汁物が欠かせず、汁椀の存在はとても大きなものだ。また、日本の汁物は、手にとって食す料理であることから、手に馴染む形状のお椀は欠かせない。陶器の手触りも心地良いが、汁物をいただくときの木椀の温もりは、心まで染み渡り心地よい。木目を眺め、手にお椀を取り、温かな汁をいただく。木地師から生まれた木椀ならではの楽しみ方がそこにはある。 テキスト:柴田裕介 作品:「MATEVARI」/我戸幹男商店 [...]

2020-02-10T00:41:32+00:002019/12/16|

第5話「工芸における侘び寂び」

工芸品は、「実用的でありながら、芸術的な意匠があるもの」とされ、日本の工芸品は、日本の美意識とは切っても切れない関係にある。日本の美意識の一つである「侘び寂び」は、海外にまで知れ渡っている日本語の代表的な言葉の一つであり、工芸の世界においても、たびたび用いられてきた。 「侘び寂び」は、もともとは禅の概念の一つであったが、千利休の茶の世界に触れたことで、後世にまで長く語り継がれるようになった。「詫び」とは、貧粗・不足な中に美を見出そうとすることであり、「寂び」とは古いもの、静かなものに趣を感じることとされる。例として、日本庭園の様式の一つである「枯山水」は、侘び寂びを感じさせる作品の一つと言って良いだろう。 私にとっての「侘び寂び」といえば、真っ先に陶器の抹茶碗が思い浮かぶ。釉薬の隙間から垣間見える土の表情は、再現不可能な偶然性を帯びていて、見ていて飽きることがない。手漉きの和紙からも同じような印象を感じることがある。「侘び寂び」というのは、作為的なものでなく、どこか自然に委ねる部分があってこそのものであり、自然豊かな日本らしい美意識であるのだろう。 海外では、「侘び寂び」という言葉は、日本を表す代表的な言葉の一つとして浸透している。豪華絢爛なものこそ豊かさの象徴だとする考え方に対し、日本の「侘び寂び」は特異な存在であり、その独特さが今、世界から再度注目され始めている。経済が成長しているときには、人々は前を見て、煌びやかな世界を追い求めるが、経済が成熟すると、その意識が変化し、地に足のついた暮らしを意識するようになるのだろう。向上心や虚栄心から逃れ、落ち着いた暮らしをしたいという願望には、日本の「侘び寂び」は静かに寄り添うことができるようにも思う。 侘びているもの、寂びているもの。それらは、余白にある美を見つけるための審美眼を要する。人生の経験とともに、時間をかけて身につけていくものだからこそ、焦らずゆっくりと向き合うものなのだろう。 テキスト:柴田裕介 作品:「萩茶碗」/ 田原崇雄 [...]

2020-02-10T00:42:40+00:002019/10/30|

第4話「工芸の職人と作家」

私たちは、日本各地の工芸メーカー・作家との繋がりを持つが、工芸の世界では、「職人」と「作家」を区別して語ることが多い。一般的には窯やメーカーの企画品を作り続けるのが「職人」であり、自身の名で個展を行い、それを生業とするのが「作家」とされる。特に、陶芸の場合、窯元での作品と個人名での作品を区別することが多い。 かつて、柳宗悦が掲げた「民藝」という思想は、職人のものづくりに美を追い求めたものだ。職人は、分業化された仕事が与えられ、無名のまま、ただひたすらに与えられた場で技を磨くが、民藝という言葉には、その毎日の継続したものづくりの中に、日本らしい簡素な美が生まれていくという意味が込められている。作家は、個人の表現を追求するものであり、そうした分業化された継続的なものづくりとは対極にある。 私が産地を訪れるとき、たびたび感激するのが職人の直向きな姿だ。工場の大量生産品とも違う、美意識が求められる仕事の中で、繰り返し、絵付けや施釉などを真剣に行う姿・表情は、ただただ美しい。職人によって技量の差はあれど、みな一つでも良いものを共同で生み出そうと、小さな創意工夫を続けている。 作家にも職人とは異なる魅力がある。工芸作家は、その土地での暮らしを愛し、そこから自身の表現を追求していくことが多いが、その熱量は作品そのものへの力となり、大きな魅力ともなる。ギャラリーでは、作家物を扱うことも増え、作家本人とお話しする機会も増えてきた。私は日々「作家物には力がある」という表現をするが、色や形、名称に至るまで、個人の想いが強く染み渡っており、彼らの生み出す作品は、その存在感に圧倒されることもしばしばある。 職人であれ、作家であれ、想いを込めたものづくりであることに変わりはなく、その共通する工芸の美しさを伝え届けていきたい。これからの時代に向け、失われてはいけないものが、そこにはあるような気がする。 テキスト:柴田裕介 作品:「鉄鉢 金彩」/杉田明彦 [...]

2020-02-10T00:43:06+00:002019/10/17|

第3話「塗師の世界」

漆器の産地に行くと「塗師(ぬし)」という言葉を耳にする。木地を作る人は「木地師」、蒔絵を行う人は「蒔絵師」とも呼ばれ、分業されていた時代の呼び名が色濃く残されている。「木地師」も良い響きだと思うが、「塗師」という言葉は、より重々しく聞こえるのはなぜだろうか。塗師の多くは、畳の上で胡座を組みながら作業をしているのだが、そんな姿が日本の職人らしさを引き立たせているということもある。 日本には陶磁器同様に、様々な漆器の産地がある。「輪島塗」や「山中漆器」は日本人なら誰しも一度は耳にしたことがあると思うが、「越前漆器」「根来塗」「木曽漆器」「津軽漆器」などもある。漆器作りは、漆を乾かすため、適度に湿気があることが必須であるが、木目を活かした塗りの山中漆器と、何層も漆を重ねる輪島塗とは作風は大きく異なるし、高岡のように螺鈿細工を施すことを得意とする産地などもあり、その表現は各地によって様々である。 いずれの漆の産地にも「塗師」はいるが、個人的に「塗師」という言葉で浮かべる産地は石川県の輪島だ。木地に布掛けをし、そこから何層もの漆を重ねていく輪島塗の技法は、現代の効率化社会とはほど遠い工芸品だが、その艶ややかな表情と手触りは、芸術的だ。私が以前にお話をした輪島の塗師である塩士さんは、下地の塗りは他の職人にも任せるが、最後の仕上げの塗りは全てご自身で行うという。塗師としてのこだわりであり、塗師としての生き様なのだと、心を打たれた。 私が工芸を通じて気づいたことの一つは、日本人は時間をかけて丁寧に作ることが得意であり、手間暇をかければかけるほど美しくなる工芸品はとても向いている。輪島の塗師という仕事はその最たるものであろう。輪島に限らず、漆器の産地の塗師の仕事にぜひ目を向けてみてほしい。特に、漆器のお椀は、手に持った際の手触りも十分に考えて作られている。塗師の仕事を手で感じることのできる特別な瞬間なのだ。 テキスト:柴田裕介 作品:「綿糸片口 / 綿糸ぐい呑(朱)」/藤八屋 [...]

2020-02-10T00:43:56+00:002019/10/14|

第2話「美しい染付」

陶芸には、成形や絵付け、加飾など、様々な技法・工程があるが、中でも私が最も好きな技法の一つは、「染付(そめつけ)」だ。海外では「blue and white porcelain」と訳されることが多いが、単純な「青と白」ではないし、やはり染付は「Sometsuke」であろう。 日本の染付は、素焼きした生地に、呉須という顔料で模様を描き、その上に透明な釉薬をかけ、再度焼成することで、鮮やかに青く染まり、その姿が藍染めの着物を思わせることから「染付」と呼ばれる。絵付け技法の中では釉薬の下に描かれることから「下絵」の一種とされる。有田のような染付の盛んな地域に行くと、工房には焼成前の黒く絵付けされた生地が大量に並ぶが、これらが一同に窯に入り、色鮮やかに発色することを思うと、とても心踊る。 染付は、日本の磁器の発祥地である有田(伊万里)を筆頭に、京都や瀬戸、波佐見、三川内、九谷など様々な産地で行われている。同じ技法ではあっても、産地によってもその色合いや筆の表現は異なり、また窯元によっても、呉須の配色や焼成温度、素地の違いなどから、微妙に風合いが異なる。 元来、染付は中国から伝わったものであるが、日本の美意識や食文化の影響を受け、独自に広がっていった。近年では、大量生産のために、筆を用いず、パッド印刷されたものも多く出回っているが、やはり染付品は、筆を用いたものこそ美しさが際立つ。特にこうした絵付けの品は「滲み」や線描きの筆加減が見どころであり、いろいろな作品に触れながら、自分自身の好きな色、表現を見つけてもらいたい。 窯元の染付へのこだわりは、色へのこだわりであるとともに、絵付けへのこだわりでもある。描く模様にまで興味を広げれば、染付の世界は果てしない。ぜひ、ギャラリーで染付の品をゆっくりと手にとって鑑賞してみてほしい。きっと、工芸の奥底の魅力に触れていただくことができる。 テキスト: [...]

2020-02-10T00:43:21+00:002019/10/10|

第1話「日本の工芸とは」

日本には、地域に根ざした様々な伝統技法があり、それらの技法を用いて職人たちが一つ一つを丁寧に形作ってきた。その多くは手仕事であることから、「手仕事=工芸」とすることも多いが、私自身は様々な産地を訪ねる中で、地域に根ざしたものづくりこそ、日本の工芸の大きな魅力なのだと思うようになった。 日本は小さな島国であるが、そこには海だけでなく、山・川・平地などが多様に存在する。それぞれの地域には固有の暮らし方があり、そこにまた四季という季節の変化が加わり、一つの小さな島国の中で、多様な美意識が育ってきた。佐賀県の有田は、李参平によって良質な陶石が発見されたことから、磁器の製造が盛んになり、今では日本有数の磁器の産地となっている。輪島では、能登半島の荒波に負けない人々の気質が強固な輪島塗を生み出したのだろうし、もちろん古都・京都では、雅な加飾作品が重宝されたことは言うまでもない。 私が個人的に印象に残っている技法の中に、愛知県・常滑の「藻掛け」という伝統技法がある。常滑は海沿いの地域にあり、その地にあった藻を器に焼き付けることで模様としたものを「藻掛け」と言う。完成された器だけを見れば、ただの模様の一つとなってしまうが、自らの足で常滑に行き、太平洋の海を眺めていると、この地でこの技法が生まれたことは必然だったのだと感じ、作品がより味わい深くなってくる。 このように、工芸の産地というものはとても奥ゆき深いもので、行くたびに新たな発見があるものだ。私たちにとって、工芸の産地を訪ねることは、貴重な体験であり、財産でもある。私たちが取り扱う作品は、日本各地の文化や歴史と密接に関わっているものばかりである。ギャラリーを通じて、ぜひその熱量を感じていただけたらと思う。 テキスト:柴田裕介 作品:「白藻掛け茶壺」/甚秋陶苑 [...]

2020-02-10T00:43:38+00:002019/09/29|