About Yusuke Shibata (HULS GALLERY TOKYO)

柴田裕介。HULS GALLERY TOKYO代表。1981年生まれ。立教大学社会学科卒。日本工芸の国際展開を専門とし、クリエイティブ・ビジネス面の双方における企画・プロデュースを行っている。日本工芸ギャラリー「HULS GALLERY TOKYO」「HULS GALLERY SINGAPORE」のキュレーション全てを手がけ、東京とシンガポールを拠点に活動を行う。またオンラインメディア「KOGEI STANDARD」の編集や工芸ブランド「KORAI」のブランドプロデュースも行っている。

令和6年石川県能登半島地震について(代表からのメッセージ)

今回の石川県能登半島を震源に発生した地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。 2024年1月1日、石川県能登地方でM7.6の地震が発生し、工芸品の産地である輪島や珠洲などの工房の多くが被害を受けました。珠洲は2022年にも大きな地震があり、窯が倒壊した作家が多くおり、再建を行なっていた最中でした。 私は昨年9月に、輪島と珠洲を訪問しました。能登の美しい景色や輪島の朝市ののどかな情景は今でも鮮明に覚えており、今回の地震による被害の大きさに、深い悲しみを感じています。 いまだ余震の続く中、物資の供給やインフラの状況も心配されますが、それでも、一人一人の作り手から発信されるしっかりとした言葉には、能登に暮らす人たちの逞しさが滲み出ており、今後の復興に向けての希望を感じさせてくれます。 これから作り手のみなさんが一つ一つ積み上げていくもの。 それを共に積み上げていけるように、私たちは、産地の工芸品の販売を続けていきます。 HULS GALLERY TOKYO 代表 柴田裕介 [...]

2024-01-05T18:07:19+09:002024/01/05|

日本料理とうつわ

新たな土地を訪れるたび、その土地ならではの料理に出逢う。食というのは、国や土地ごとに異なる文化があり、さらには一つ一つの家庭にもそれぞれの味がある。日本には日本料理があり、日本各地の風土やおもてなしの精神とともに、外国人にとって日本への旅行の際の大きな魅力の一つとなっている。 料理は、うつわに盛りつけて食べるものである。ただ栄養のために食すだけなら、調理した鍋からそのまま食べても良いのだが、うつわに盛りつけるという行為は、人々の食事にとって大切なものなのであろう。日本のうつわは、陶磁器や漆器、ガラスに金工など、さまざまな素材からできていて、うつわへの盛りつけにも、独特の美学が備わっている。 日本料理は引き算 日本料理の美学は「引き算」をすることだと言われる。日本料理というのは、えぐみや臭みを引く下拵えを丁寧に行うことで、素材そのものの香りや味を最大限に引き出すことを特徴とする。出汁についても「出汁を引く」という言葉があるように、昆布や鰹節などから旨みを引き出すことが重要とされている。 料理における引き算という考え方は、フランス料理のように、ソースを足すことで味に深みを与えていく料理とは大きく異なる点である。季節ごとに新鮮な食材が豊富に手に入り、素材の味を楽しむことを基本とする日本料理ならではの美学とも言える。 一汁三菜 日本料理においては、「一汁三菜」という言葉があり、米と汁ものを基本として、魚などの主食に副菜を二点添えることを言う。一汁三菜は、もともとは本膳料理の一形式であったが、家庭料理においても、日本人にとっては親しみ深い食卓の風景となっている。 この一汁三菜という形式は、大皿から取り分ける食事とは異なり、日本らしいうつわの文化も育んできた。向付(むこうづけ)という言葉は、懐石料理で出される刺身や酢の物のことを意味するが、飯碗や汁椀の向こう側に置かれるために「向付」と言われる。この言葉は、料理だけでなく、うつわのことも指し、向付にはさまざまな色や形のものがあり、向付には料理人や使い手の個性が表れやすい。 また、日本は四季があることで、衣服だけでなく、うつわにも季節ごとの衣替えがあり、料亭では季節が変わるたびにうつわを変えるのが一般的であり、日本らしいうつわの文化と言えるであろう。夏にはガラスや青磁のうつわ、冬には漆器が合う。酒器も、暖かい季節には薄手の片口が良いが、冬にはやきしめの徳利を楽しみたい。現代の暮らしでは、一年は季節を楽しむ余裕もなく、あっという間に過ぎ去っていくが、食卓にうつわの変化を取り入れることで、単調な暮らしに彩りを与えることができる。 うつわは料理の着物 [...]

2023-06-30T10:21:46+09:002023/06/30|

求人情報:工芸品の国内外営業・輸出業務スタッフ募集

株式会社HULSでは、現在、国内外営業・輸出業務スタッフを募集しています。 日本の工芸品に関連した国内外の営業・輸出業務をお任せします。東京とシンガポールのスタッフと連携し、日本の工芸品を海外に販売展開していくサポートをしていただきます。 *国内外出張あり。 <具体的には> ・納品に関わる仕入先との調整 ・海外への輸出業務 ・工芸メーカー・作家との販売企画、展示会の企画運営サポート ・レストラン向け法人営業 ■雇用形態:正社員 ■応募資格: [...]

2023-05-24T10:51:24+09:002023/05/23|

ギャラリーの仕事

あるとき、ふと立ち寄ったお店で購入したうつわ。使い心地が良く、その後、何年も使うことになった。そんな経験はないだろうか。 私が日常で使っているうつわの中にも、そんなうつわがある。思い起こせば、お店の店員が、それぞれのうつわの違いを説明してくれ、そこから、自分の好みにあったものを選んだのだった。あのときの店員さんの説明がなければ、このうつわを買うこともなかったのだと、不思議な縁を感じる。 私たちギャラリーというのは、こうした「縁」を繋ぐことを仕事としている。ギャラリーにとっては、数多くのお客様の一人であっても、お客様にとっては、一つ一つの工芸品との出会いが、特別なものとなることがある。作り手と同じように、使い手にもそれぞれのストーリーがあって、それらを繋ぎ合わせることが、私たちギャラリーの大切な務めなのだ。 日々の仕事 日々の仕事において、基本となるのは、ギャラリーの掃除だ。作品が心地良く並んでいるかを、毎日確認する。うつわの多くは、手に持ち、口につけるものであり、常に清潔さを保たなければならない。仕事に身が入らなくなると、まずはこの掃除が疎かになっていく。掃除は、その場所をきれいにするだけでなく、自らの心を落ち着かせることにも繋がるものであり、常に意識して行う必要がある。 また、ギャラリーには、頻繁に新しい作品が届くのだが、それらの一つ一つに関心を持ち、丁寧に向き合うことも大切だ。私は、自分自身で作品の撮影をするが、その時間を通じて、作品にじっくりと向き合うことができる。どこから見たら美しいか、どのように使ってもらいたいかなど、作品一つ一つの個性を確かめながら、いろいろな思いをめぐらせる、私自身にとって好きな時間でもある。 作り手のバトン 私たちのギャラリーの仕事は、「ストーリーを伝える仕事」と、よく説明される。確かにその通りで、私たちは良い「語り手」でなくてはならず、作り手や物の知識を学ぶだけでなく、姿勢や話し方なども磨き続けなくてはならない。 また、私たちは、作り手の「少しでも良いものを作りたい」という気持ちを、バトンとして受けとっている。一つずつ人の手で作られたものだからこそ、丁寧に包み、袋に入れ、直接手でお客様にお渡ししたい。そして、お店から出るまで、きちんと見送り、挨拶をする。そうした一つ一つのことに、「気持ち」というのは込められていて、ようやく作り手のバトンは心地良くお客様に渡っていく。 作り手と同じ熱量で [...]

2023-02-23T17:28:10+09:002023/02/23|

やきものの景色

煙が静かに立ち登り、薪窯から引き出された茶碗やぐい呑がずらりと並ぶ。その一つ一つは、釉薬が美しく溶け、見事な景色を生み出している。手に取り、じっくりと眺めれば、どこか別の土地を旅しているような、そんな気持ちになる。 陶芸の世界には「景色」という言葉があり、窯での焼成によって、胎土に釉薬が絶妙に被さり、実在する風景のような表情が生まれることがある。風景だけでなく、絵画や音楽、詩などが思い浮かぶような表情もあり、その感じ方や言葉での表現にも、鑑賞の魅力というものがある。美しい景色もあれば、薄暗い景色や深く考えさせられるような景色もある。この「景色」という言葉は、筆で描かれた絵付け作品や漆器、ガラス作品などには用いられず、釉薬表現を活かした陶磁器ならではの楽しみ方であると言える。 炎が生む景色 なぜ、やきものの表情を「景色」と呼ぶようになったのかは定かではないが、多くのやきものを見ていると、不思議とそのような言葉で表現したくなるものだ。茶の湯が生まれた時代には、当時、雑器とされていた器は、茶碗に見立て用いられた。そんな茶の湯の世界では、不完全のようにも映っていた罅や目跡を、何らかの景色と見ることで、特別に愛でたのであろう。 自然の景色は、太陽光の加減によってその表情が変化するが、やきものの景色は、炎によって生み出される。窯の中の予期しない変化は「窯変」と言い、釉薬の流れだけではなく、焦げや灰のかかり方によっても、異なる景色を見ることができる。手仕事と炎の共同作業による半自然美が、この「景色」という言葉に集約されている。 やきものの景色の楽しみ方 やきものの景色を楽しむには、置いて眺めることと、手で持って眺めることの二つの楽しみ方がある。置いて眺めるときには、光の当たり方にも注意したい。自然光でも、部屋の灯りでもよいので、作品を動かしながら、自分が最も美しいと感じる場所に置いてみてほしい。置いたときに、最も景色が印象的なのは、「胴」と呼ばれる側面の部分である。作家は、窯の中の置く位置や置き方によって、炎や灰がどのように作品に影響するかを考えながら、作品を焼く。狙い通りであることもあれば、予測しない窯変が偶然に起こることもあり、ここにやきものの神秘さがある。 手に持って鑑賞するというのも、工芸品ならではの楽しみの一つでもある。持つときには、やはり見込みと高台を眺めてみてほしい。碗の内側を意味する「見込み」は、抹茶や酒を入れると、違った景色が浮かび上がってくるときがある。特に、抹茶を入れたときに浮かび上がる景色には、「茶映り」という言葉があり、これは抹茶の色と見込みの色の調和や対比を楽しむものだ。また、高台は、やきものにとって、秘境のようなものでもある。名画の中に隠された秘密のサインのように、作り手の美意識が静かに埋め込まれていることが多い。 景色とは、見るものではなく、感じるもの 日常の中で景色を感じるのは、どんなときであろうか。一つは旅先であり、もう一つは日常の中のふとした瞬間であろう。旅に出ると、普段見ることのない景色が広がり、見るもの全てが美しく感じることがある。自然の風景だけでなく、街並みや行き交う人々の様子ですら、一つの景色のように見えることだろう。これこそが、旅の醍醐味であると言える。 [...]

2023-02-25T13:52:09+09:002023/01/24|

暮らしの所作

茶葉を眺めながら、宝瓶の蓋を静かに持ちあげ、そしてまた閉じる。閉じられた宝瓶を、利き手で包み込むように持ち、ゆっくりとお茶を注ぐ。 私は、この一連の所作が好きなのだ。所作への関心は、宝瓶というものに出逢い、気づいたことの一つでもある。東京ギャラリーのオープニングイベントの際、お越しになった方々に、櫻井焙茶研究所の店主である櫻井さんご自身に宝瓶でお茶を淹れていただき、その美しい所作に目が釘付けになった。私自身は、決して日常の姿勢や所作は美しいとは言えないほうなのだが、お茶を淹れるときだけは、櫻井さんの所作を思い出しながら、背筋を伸ばしていたい気持ちになる。 工芸品は美しい日常の道具であり、その「美しさ」には、使う際の所作も含まれている。蓋の開け閉め、お椀の持ち方、織物の畳み方、その一つ一つに、固有の美しさがある。どんなに美しい工芸品であっても、乱暴に扱ってしまっては、その美しさは台無しになってしまう。物の形はもちろんだが、陶磁器、漆器、ガラスなど、素材によっても触れ方は微妙に異なり、その違いがまた、工芸品の面白さでもある。酒器は、形や素材さまざまだが、片手で握り込むように持つのが似合うぐい呑もあれば、両手で丁寧に持ちたい盃もある。物や場面に適した持ち方があり、そうしたことに意識がいくようになると、日常に奥ゆきが生まれてくる。 所作を美しくするには、呼吸についても意識を向ける必要がある。私は「深呼吸」という言葉が好きで、頭の片隅に常に置いてある言葉の一つでもある。仕事に行き詰まったとき、考えがまとまらないとき、そして心が落ち着かないとき、椅子から離れ、一度外に出て、深呼吸をする。大きく空気を吸い込むことで、身体の隅々に酸素が行き渡る気がする。お茶を淹れるときには、茶葉が開くまでの数分間だけは、何もせず、呼吸を落ち着かせ、茶葉が開くのを眺めるようにしている。そうすることで、気持ちが少しずつ静まっていく。美しい所作の始まりには、心の静まりが不可欠でもある。 現代の暮らしの中には、デジタルの製品が溢れ、ボタンひとつで何もかもを動かすことができるようになってしまった。今では、何にも触れることなく、自動で扉は開き、電気すらついてしまう。そうした暮らしでは、人の細かな動作は少なくなり、所作を感じる機会も少なくなってしまった。日本の昔ながらの旅館では、仲居さんが、綺麗に襖を開け閉めし、挨拶をしてくれる光景があった。襖への指先のかかり方一つにも気持ちが込められ、そうした所作にこそ、日本らしい美というものがあったのだろう。人の所作というのは、物や道具との関係の中で育まれてきたものであったはずで、生活が変われば、必要な動きも変わっていく。それは仕方のないことだが、人が暮らしと共に長く積み上げてきたものは、工芸品そのものだけではない。工芸品を用いることで生まれた、人の所作でもあったのだということを、私たちはしっかりと伝えていきたいと思う。 文:柴田裕介

2022-11-17T11:41:07+09:002022/11/17|

作り手の声: 陶芸家/李荘窯 寺内信二さん <PART 2>

有田のサステナブルな取組み~泉山と天草の陶土開発プロジェクト~ HULS GALLERY TOKYOでは、2021年11月に、有田焼窯元・李荘窯四代目当主である、陶芸家の寺内信二さんの個展「泉山への回帰」を開催いたしました。本個展の関連企画として行ったトークセッションでは、古伊万里が原点となった寺内さんの作品づくりへの想い、産地での新たな陶土の開発についてお話いただきました。 *記事は前半と後半(本ページ)に分かれています。 前半はこちら - さて、ここからは泉山陶土の再生プロジェクトについてお話いただきます。寺内さんお願いいたします。 はい。私が泉山磁石場組合の開発委員長をしているなかで、今年(2021年)の7月に立ち上げたプロジェクトです。今では使われていない泉山陶石から陶土をつくって販売しようという試みです。組合には先人が築いた資産があるのですが、陶石を売っていないので管理費等で目減りしている状況です。 やはり、泉山で原料が取れて「有田」という産地が生まれたという点が重要です。原料があるからその土地に産業が生まれ、産地になるというのが基本なんですよね。ですが、有田では有田の土を使わず、熊本の天草陶土に頼っています。原料のないところで産地と言えるのかな?このままでいいのかな?というひっかかりがありました。 [...]

2022-03-13T16:34:14+09:002022/03/13|

暮らしの中で手を使うということ

人にとって、手を使うというのは、どういうことだろう。手で触れることで伝わるものは確かにあるし、手を使うことでさまざまなものを作り出すこともできる。文字を書くこと、服を縫うこと、楽器を弾くこと、料理をすること、そして陶磁器や漆器を作ること、それらはすべて手を使うことから始まっている。 タッチレスに向かう現代 ここ最近、日常で手を使うことの大切さを考えるようになった。きっかけは、新型コロナウイルスの出現により、ソーシャルディスタンスが推奨され、あらゆることが自動化やタッチレスに向かっていることだった。タッチレスでの決済や音声での入力はとても便利で、後戻りできるものでは決してないが、ふと気づくと、一日で手を細かく動かしているのは、パソコンとスマートフォンを使っているときのみという生活になってきている。このままいけば、手をほとんど使うことなく、一日を終える日も来るかもしれないとすら思う。 電子書籍と紙の本 人は手で道具を用いたことで脳が発達し、言語を獲得した。手を用いることは、それだけ人間という動物にとって、とても重要なことであったはずだが、私たちの現代の暮らしは急速に変化をしてきている。世の中は、さまざま技術で快適さや便利さを実現していく一方で、本来人に備わっていた手の感覚や能力がどこか置き去りにされているのではないだろうかと思う。例えば、電子書籍と紙の本。電子書籍は大量の本を持ち運べ、翻訳機能などもついた優れものだが、脳科学の世界では、紙の本のほうが記憶に残りやすいことがわかってきている。紙に触れながら読むことで、五感全体で記憶しているのだろう。学校の授業も、パソコンを用いた授業に変わってきているだけでなく、オンライン化も急速に進んだが、教育現場ではこうした変化による子供の学力の低下を心配する声もあるという。オンライン授業の利点は多いにあると思うが、一方で、身体や五感を用いた学習の大切さも、同時に浮き彫りになってきている。 うつわの手触り 食事の際の食器にも同じようなことが言える。自動で作られたプラスチックのお皿よりも、人の手で作られた天然素材の陶磁器や木のうつわで食事をしたほうが、印象に残りやすい。もちろん私自身がうつわが好きで、そこに意識が向かうこともあるだろうが、食事というのは、ただ味を楽しむだけのものではなく、手で触れることで、より一層その時間を味わい深くすることができる。お皿に独特の手触りや重さがあると、手が刺激され、それが記憶や感情に繋がっていくのだろう。特に日本の食文化は、お椀や鉢を手に持ちながら食べるため、食器の素材や形の良し悪しがとても大切になってくる。子供に天然素材のうつわやお箸を持たせるのは、食事に温もりを与えるだけでなく、手の感覚を養うことにも繋がっている。 私は、今年に入ってから、紙のノートに文字で日記を書くようになった。仕事では、パソコンやスマートフォンを活用してしまうが、私生活では手を使うことを意識し始めている。また、長く続いている毎日の日課の一つは、朝にドリップ珈琲を淹れることなのだが、手作業なので、同じ豆でも毎日少しずつ味が変わる。朝に淹れたてのドリップ珈琲を飲むととても気分が落ち着くが、手を使って淹れることで、ほんの少しの手や頭の運動になっているような気もする。他にも、抹茶を点てたり、絵を描いたり、楽器を弾いたりというのも良いと思う。朝起きて意識的に手を動かすということが、今の暮らしには大切なのではないだろうか。 人の手だからできること この先の未来は、自動化やタッチレスのような先端技術と、工芸品や紙の本のような手触りを追い求めたようなものとのハイブリッドな世の中になる。最近では、工芸品を購入するだけでなく、物を作るワークショップや自作キットも人気で、金継ぎや藍染体験は何ヶ月も予約が取れないほどの人気ぶりだ。日常生活で手を使わなくなった分、何かこうした機会に手を動かしたり、物を作り上げたりすることで、無意識的に人は身体のバランスを取っているようにも思う。こうして考えてみれば、手を使うということは人にとって特別なことであって、まだまだ多くの可能性も残されている。世の中がタッチレスに向かっていく時期だからこそ、人の手だからできること、人の手でしか伝えられないものを、今一度考える良い機会なのではないだろうか。 [...]

2022-03-14T09:05:21+09:002022/03/13|

作り手の声: 陶芸家/李荘窯 寺内信二さん <PART 1>

HULS GALLERY TOKYOでは、2021年11月に、有田焼窯元・李荘窯四代目当主である、陶芸家の寺内信二さんの個展「泉山への回帰」を開催いたしました。 本個展の関連企画として行ったトークセッションでは、古伊万里が原点となった寺内さんの作品づくりへの想い、産地での新たな陶土の開発についてお話いただきました。 *記事は前半(本ページ)と後半(後日公開)に分かれています。 - まずは寺内さんのご紹介からお願いいたします。 およそ60年前に有田に産まれて、大学は美大に進みました。親から窯を継ぐように言われたこともなく、あまり意識したことなかったのですが、高校3年になり進路を考える頃、継ぐのであれば、美術の勉強が必要だと思いました。 - 古伊万里の研究は、大学卒業後すぐに始めたのですか? [...]

2022-01-12T16:09:39+09:002022/01/12|
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