作家写真:須田卓馬

HULS GALLERY TOKYO にて 2022 年 2 月 4 日から 19 日まで開催中の、佐賀県有田で作陶を行う陶芸家 徳永榮二郎さんの作品展「季の流景」。HULS GALLERY TOKYO での徳永さんの個展は 2 年ぶり 2 度目の開催となります。今回の企画展に合わせ、本展の見どころやご自身の作陶活動について、お話を伺 いました。

– 徳永さんは、佐賀県有田の窯元「徳幸窯」の次男として生まれ、現在は家業の徳幸窯のロクロ師として、またご自身の作品を制作・発表する作家として、精力的に作陶に取り組んでいらっしゃいます。はじめに、そんな徳永さんの陶芸家としてのご経歴を教えてください。

まず京都の嵯峨美術大学の陶芸コースで 3 年ほど陶芸の技術を学びました。卒業後は、俊山窯に職人として 3 年勤め、その後陶工訓練校に 1 年通い、さらにその後、弥三郎窯で 1 年半ほど職人として経験を積みました。弥三郎窯は、茶道具を主に制作している窯元です。京都には 10 年ほどいたことになります。その後有田に帰って、家業の徳幸窯のロクロ師となりました。最初のころは作家活動はやっていなくて、徳幸窯の一職人として、窯元のものづくりをしていました。

– 徳永さんは、京都では主に土ものの制作を学ばれたと聞いています。徳幸窯は、磁器を生産していたかと思いますが、有田に戻られたときには、すでに土もので活動を行なっていく決意があったのでしょうか。

はい。徳幸窯はもともと料理人さん向けの磁器を制作している窯元でしたが、僕は土もので、料理人さん向けの器を作り始めました。京都での職人時代も土ものを作っていましたし、なにより、京都ではさまざまな土ものを見る機会がたくさんあったんです。そういう作品に影響を受けて、土ものをやりたいという思いが強くなりました。土ものの温かみに魅力を感じて、土味を活かすものづくりをしたいと思ったんですよね。親父からは最初「有田焼の著名な陶芸家のところで修行してみないか」と言われましたが、それは断って、「僕は土ものでやる」と伝えました。それからはずっと土ものだけでものづくりをやってきています。

それに、有田で土ものをやっている人はほとんどいなかったことも大きいです。僕は、人がやっていないこと、人と違うことをやってみたいと思っていました。

– チャレンジ精神にあふれていて、徳永さんらしいです。それが現在の徳幸窯の個性のひとつにもなっていますよね。

そういう性格なんでしょうね(笑)。

– さて、今回の個展についてお伺いします。HULSGALLERYTOKYOでの個展は2年ぶりですが、前回と比べて、今回変化した点や、逆に変わっていない点などはありますか。

ベースは変わっていませんが、色の出し方、窯変の出方はけっこう違います。僕は炭化焼成※1 という技法で作品を作っていますが、その方法を工夫することで、前回とはまた違った色味を出すことができました。

「花霞 極」という作品がありますが、少し緑がかった色が出ています。これまでも「花霞」を作っていて、たまに緑色が出ることがあったのですが、「どうしたらこの色が出るんだろう」と不思議でした。それをずっと考えながら窯焚きを繰り返しているうちに、なんとなく読めてきて、緑色の出し方がわかってきました。それが、今回新作として出品している「花霞 極」です。

※1 炭化焼成…施釉後の器体を入れた耐火度の高い匣鉢(さや)の中に炭を入れ、蓋をして焼成する技法。

– 「花霞 極」の鮮やかな緑色は必見です。ほかに「龍門白嶺 丸盆皿」も新作だそうですが、こちらの作品についても制作時のエピソードがあれば教えてください。

丸盆皿は、もともと、あるシェフからご注文いただいたものです。釉薬が流れたような、窯変のフラットなお皿がほしいということでした。最初は通常通り釉薬を掛けてみたのですが、フラットなので全然釉薬が流れなかったんですよ。それで、どうしたら流れるか考えて、最終的には釉薬を手で飛ばすという結論に達しました。そうすることによって、釉薬がうまく絡み合って流れる雰囲気が出るようになりました。

– 他にはない、良い表情ですよね。海外のシェフの反応も良さそうです。

はい、最初にご依頼いただいたシェフ以外の方からも見せてほしいというご要望をいただいていたので、今回新作として「夕波 丸盆皿」と合わせて 2 種類出品しています。

– 徳永さんの作品の特徴に多彩な釉薬表現があげられますが、新しい釉薬を作るときは、どのようにして開発していますか。

いろいろな釉薬の組み合わせを試して、テスト焼成を繰り返して形になっていく感じですね。だからけっこう、失敗の中からできあがっていくものもあります。「花霞」もそうです。

– 一方で、形へのこだわりはありますか。

手に馴染む形を意識しています。土ものってどうしても重いイメージがありますが、女性でも扱いやすいように、極力軽いつくりにしています。京都の職人時代からそういう挽き方でやっているので。大将から、よく「軽く挽けよ」と言われていました。「重いよ」って怒られたり(笑)。

– 徳永さんの作品はたしかに軽くて扱いやすいですが、軽い土を使用しているのではなく、挽き方がポイントだったのですね。

よく言われるんですが、土の重さによるものではありません。挽き方で大きく変わります。全体を薄く挽いて、口の部分には少し厚みを持たせることで、重みも感じられるようにしています。また、ろくろで作品を作る場合、ヘラなどの道具を使うこともあるのですが、僕はあまり道具を使いません。基本的に手で作るので、手の感覚で薄さを調整しています。

– 技術的に難しいリクエストもあるのではと推察しますが、国内外のシェフに器を使っていただくことについて、ご自身ではどのように感じていらっしゃいますか。

ありがたいですね。有田焼創業 400 年事業※2 で多くの料理人さんとつながりができたのですが、それがきっかけとなって料理人さんからご注文をいただくことが増えたと思います。彼らと距離が縮まり、直接やり取りしながらオリジナルの器を作るなど、一緒にものづくりをすることが多くなりましたね。すごく楽しいです。ときどき無茶振りをされることもありますが、すぐにノーと言わないで、「なんとかやってみます」と言いながらやっています。

※2 有田焼創業 400 年事業…日本で最初の磁器である有田焼の誕生から 400 周年を迎えた 2016 年に、佐賀県が有田焼窯元と取り組んだ 17 のプロジェクトのこと。世界のさまざまなトップシェフとのコラボレーションも行なった。

– 最後に、今回展示をご覧いただくお客様、お越しくださったお客様にメッセージをお願いします。

コロナ禍のこういう時期ですが、お越しくださるお客様には本当に感謝ですね。やきもの業界もコロナの影響を受けましたが、先のことを見据えて、有田の窯元はみな明るい未来を思いながらものづくりをやっています。コロナになんか負けていられません。そういう意味で、今回の作品展では本当に楽しみながらものづくりをさせていただいたので、作品にもいろいろな表情が出ていると思います。それをぜひ楽しんでください、とお伝えしたいです。

徳永榮二郎さんコレクションページ:https://store.hulsgallerytokyo.com/collections/eijirotokunaga