有田のサステナブルな取組み~泉山と天草の陶土開発プロジェクト~

HULS GALLERY TOKYOでは、2021年11月に、有田焼窯元・李荘窯四代目当主である、陶芸家の寺内信二さんの個展「泉山への回帰」を開催いたしました。本個展の関連企画として行ったトークセッションでは、古伊万里が原点となった寺内さんの作品づくりへの想い、産地での新たな陶土の開発についてお話いただきました。

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– さて、ここからは泉山陶土の再生プロジェクトについてお話いただきます。寺内さんお願いいたします。

はい。私が泉山磁石場組合の開発委員長をしているなかで、今年(2021年)の7月に立ち上げたプロジェクトです。今では使われていない泉山陶石から陶土をつくって販売しようという試みです。組合には先人が築いた資産があるのですが、陶石を売っていないので管理費等で目減りしている状況です。

やはり、泉山で原料が取れて「有田」という産地が生まれたという点が重要です。原料があるからその土地に産業が生まれ、産地になるというのが基本なんですよね。ですが、有田では有田の土を使わず、熊本の天草陶土に頼っています。原料のないところで産地と言えるのかな?このままでいいのかな?というひっかかりがありました。

数十年前に、海外視察でトルコの陶器の産地であるイズニックを訪問しました。トルコも陶芸が盛んなところで、モスクのタイルなどを焼いている産地があります。それで視察をしたのですが、そこには陶器産地としての跡が何もなかった。聞くと、なくなってしまったというのです。なぜなら原料がなくなったからで、そこから200キロ離れた、原料があるブルサという地域に産地が移ったとのことでした。

原料がないとなると、有田も50年後100年後になくなっているかもしれない。それが考えるきっかけになりました。有田では、泉山の土を使っていないだけなんです。量は少ないかもしれない。でも使えるんです。我々の土地でやっていく意味を考えた時に、この土地にあるものを使わなければと思いました。

– いつから泉山の原料は使われていないのでしょうか。

幕末からです。

– 泉山陶石は使いづらいとのことですが、生産上の歩留まりが悪いということでしょうか。

そうですね。でも、先人の陶工はそれをうまく使いこなしていたんです。泉山陶石は使えないのではなく、天草陶石を知ってしまった私たちにとって使いづらいだけです。

– 泉山陶石が使われなくなった他の理由としては、白さの違いでしょうか?

それは天草陶石と変わりません。鉱脈ですので、ものすごく白い部分もあります。似通っています。ただ鉱石としては、天草の方が良くできています。泉山の方が若いとも言われていますね。完成されていないイメージです。

陶土を開発し、石を販売することで組合の次世代に残せることもある。泉山の再生、そして有田の陶工たちにとっての象徴的な土になればと思っています。その体制をつくっていきたいです。

– 今回のHULS GALLERYでの個展では、寺内さんご自身の作品に泉山陶土が使われています。今後は李荘窯の製品にもその土を使うのですか?
そうですね。使えたらいいですね。つくるものによって使い分けできたら良いなと思います。

– それは楽しみです。

歴史から見ても、有田焼は1700年代初頭で完成し、それ以降は新しいものは出てきていないのです。この土を使って何か新しいことをしていけたらなと思っています。

– 天草の土にも課題があるとのことです。こちらの方でもサステナブルな取り組みをされているそうですね。

はい。天草には陶石屋さんがいるのですが、この業者さんに頼って私たちは生産しているわけです。そこにも様々な課題があります。

まず、磁器の生産量が減ってきているなか、後継者の問題があります。陶石屋さんの仕事は過酷で高齢化しています。そして、原料値上げの問題もあります。産地にとって値上げはとても大きな問題となります。製品の価格にも響いてきます。避けて通れない状況です。

振り返ってみると、今まで有田では、200から300年の間、白い陶石しか使ってこなかったのです。その資源にも限りがあって、陶石が取れる場所は断層の10mから20mくらいの幅しかありません。より白いものは真ん中にあって、断層のキワになると不純物が多いところになります。それらを一緒に掘らないと白いところが採れない。掘って不純物が多いところを取り除いて、良いところだけを採っているんです。置き去りにしてきたものを使うことができないかと考え、新しい土を開発中です。

陶石屋さんの方でも、努力をしています。白くないところをハンマーで割って、粉砕して、酸で溶かして、上級石に混ぜるという再処理をしているのですが、非常に手間がかかっています。

採石場に対して私たちがすぐできるサステナブルな行動として、等級が低いとされている原料を使うという考えです。白くないことを悪いと考えずに、土の個性として見る。それをデザインで解決できないかなと考えました。

– 不純物があると、どのような不都合があるのでしょうか。

まず、流通のなかではねられています。ピンホールのような黒い点となってクレームの対象になります。

– 白い器の中にひとつ黒い点があると目立ちますね。でも、それ自体が入っているデザインでしたら、魅力になりますよね。

はい。例えば、ここにある、江戸時代の有田焼の皿。1670年代の初期伊万里ですが、黒い点がある。鉄粉もあるし、呉須とびもある。でも、古伊万里なので許せるんですよね。

これは良くて、今の基準だったらだめです。今は原料がピュアになり過ぎているということもあります。

– 古伊万里の時代は絵付けがありましたが、今は無地のデザインも多いです。絵がないぶん目立つのでしょうか。

いや。絵付けがあっても返品されてきますよ(笑)。

– デザインの力で使われていない陶石を活用する点で、今のところ具体的なアイデアはありますか?

ひとつは、私が初期伊万里が好きなので、現代の初期伊万里を作りたいですね。職人くささが残っている焼き物をつくりたいです。泉山や天草の新しい土を使って、今の紋様、サイズ感で表現したいです。来年還暦ですし、それを機に挑戦してみたいなと思います。自分のための活動として。

私たちが開発中の天草の土は、グレーで白くありませんが、使い道はあります。昔の初期伊万里の色に似ています。もしかしたら、染付にとても合うんじゃないかと思っています。青を引き立たせる時に、いわゆる天然のコバルトを引き立たせる時に、鉄分が重要な役割をもっているんですね。鉄分にはそのような効果があります。今は、白い土に木灰を混ぜて、青みを引き立たせています。この新しい土を使えば、灰を減らしても雰囲気があるものができるのではと考えています。先人の陶工は白いものを望んでいました。白さへの憧れがあったんですね。ですが、私の原点は、うちの裏山から出てきた陶片。つまり初期伊万里です。

それに、今の時代、黒が流行っていたりします。黒い器をつくるのに白い土が必要でしょうか?白を活かすもののつくり方と、それとは異なるやり方と、作り手がそれを切り分けて考えれば色々なことができます。

– 飲食の業界でもサステナビリティへの意識が高まっています。寺内さんも影響を受けていらっしゃるのでしょうか。

2016年は有田焼の300年周年でした。その時にレストラン関係の方々と関わりを持ちました。その年に有田で開催された世界料理学会では、あるシェフがフードロスの問題を話していました。これは世界的にも重要視されている問題です。日本にもフードロスバンクができました。サステナブルな意識があるお店は、原材料について細心の注意を払っています。その取り組みからは、かなり刺激を受けています。食材にも器にもストーリーが必要です。これからはそういう時代になっていきます。

– 泉山、天草陶土のプロジェクトは、産地全体で取り組んでいくこともできそうですか。

そうですね。誰かがこの取り組みを評価してくだされば、業者さんにとっても良いことですし、広げていけたらなと思います。今は小さいですが、現場を知ることから始めたいと思い、天草の採石場を視察しました。天草の陶石はあと200年は採石できますが、掘る人がいなくなれば原料がなくなります。熊本は夏の暑さと冬の寒さが厳しく、とても大変な仕事です。

– ユーザーとしては、原料までは意識が届かないところですね。実際土に触れる機会がなく、違いがわからないとイメージしづらいですが、実体験があると一歩進むような気がします。作品を通して使う側にも意識が伝わると良いですよね。寺内さん、お話ありがとうございました。

寺内信二さん コレクションページ
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