HULS GALLERY TOKYOでは、2021年11月に、有田焼窯元・李荘窯四代目当主である、陶芸家の寺内信二さんの個展「泉山への回帰」を開催いたしました。

本個展の関連企画として行ったトークセッションでは、古伊万里が原点となった寺内さんの作品づくりへの想い、産地での新たな陶土の開発についてお話いただきました。
*記事は前半(本ページ)と後半(後日公開)に分かれています。

– まずは寺内さんのご紹介からお願いいたします。

およそ60年前に有田に産まれて、大学は美大に進みました。親から窯を継ぐように言われたこともなく、あまり意識したことなかったのですが、高校3年になり進路を考える頃、継ぐのであれば、美術の勉強が必要だと思いました。

– 古伊万里の研究は、大学卒業後すぐに始めたのですか?

いいえ。大学を卒業した後に、大手の商社で2年商品開発を、その後の2年間は都内の百貨店などの営業をやっていました。デザイン学科だったのですが、これからは流通が大事になってくると助言されたこともあったので。

その後、有田に戻るのですが、磁器が嫌いでした。有田焼には工業製品的な冷たいイメージがあったからです。有田にはない土ものの手作りの焼き物に魅力を感じて、全国の土を取り寄せて焼いてみることを始めたんです。信楽、唐津もありました。有田だからといって磁器にこだわる必要ないと思っていて。李荘の窯でどこまでできるかをやってみようと。土ものに絵を描いたりもしていました。
ものをつくり、個展なんかもやっていたんです。楽しくて良かったのですが、そのやり方では、自分の行きたいレベルに到達できないことに気づきました。産地の材料ややり方ではできないことがあることに悩んでいました。

その頃、初期伊万里に出会いました。磁器なのに手のぬくもりを感じました。うちは李参平の住居跡地にあるので、裏山では400年前の陶片が見つかるんです。それまで全く気にしていなかったのですが、その時に気がつきました。「その土地でやる」ということが降りてきたように思います。

– いろいろな土に触れたからこそ、今の寺内さんがあるのでしょうね。

そうですね。有田でしかできないことを考えるようになりましたね。
古伊万里との出会いは衝撃的でした。お正月に、幼馴染の十四代今泉今右衛門さん宅に招かれたんです。十三代が愛用していた初期伊万里があって、それに十四代が珍味を載せて運んできたんですね。それが古伊万里を知った瞬間で、その日の夜は興奮して寝られませんでした。

– いいストーリーですね。実体験にもとづいているというのは。寺内さんの作品づくりの原点になったのですね。窯元としての活動として、李荘窯の紹介もさせていただきましょう。寺内さんは窯元の当主であり、レストラン向けの器を中心に作っていらっしゃいます。寺内さんは個展で展示しているような作品を、ご自身でろくろで挽くこともありますが、通常は型でつくることが多いですよね。

はい。今は作陶活動というよりは、経営者として窯元の仕事を優先している状況にあるので、そちらをメインでやっています。ただ、年に1、2回は土と向き合う時間をもつようにしています。

– また、寺内さんは国内外の有名なシェフとのコラボレーションも積極的に行っていて、シェフのリクエストに答えながら器をつくる活動もされています。シンガポールでも弊社を通していくつかのミシュラン星付きのお店に販売しています。そのようなご経験から、今までにないものづくりをされている印象があります。今回のHULSギャラリーの展示では、泉山の陶石だけを使ってつくった作品ということですが、そのあたりをご説明いただけますでしょうか。

今回展示のお話をいただいた時に、テーマとして何がいいのだろうと考えました。我々李荘窯としても、コロナ期の今まで経験したことがないなかで、コロナが明けた後の次の世界はどうなっていくのだろう、リセットが必要なのではと考えていました。良いことも悪いこともある。そういうなかでうちのものづくりの基本をちゃんと考えてやろうということを。前々から考えていたことですが。

泉山の土に興味があったんです。今、有田泉山の磁石場組合の副議長をしていて、泉山と関わっているんですね。現在、泉山の石自体は使われていないのです。磁器の発祥の地なのですが、江戸時代の終わりから、天草陶石が入ってきたことで使われなくなった。

– 泉山というのは有田にある磁器の原料が取れる場所で、ここで磁器の原料が発見されたことで、有田焼の発祥の地になったんですよね。

そうです。それもあって、原点回帰なのです。ちょうど少しその土を持っていて、寝かせていたのです。それを使ってつくることにしました。

– 手触りや風合いなど、天草との違いがあるんじゃないかと思いますが、手で触っていただきたいですよね。いかがでしょうか。

どこが違うかというとなかなか難しいのですが、江戸時代に泉山の土で作られたものと比較してみても、それはそれで違います。その点もあわせて、なるほどと思いながら、自分でつくりながら確認をしているところです。

– 新しい土に向き合うのはチャレンジですよね。

ゼロからのスタートみたいな気持ちです。これからの自分の活動のひとつの大きな柱になると思っています。

– 今回の個展についてもお話いただけますか?

今回は嗜好品を多くつくりました。私自身がお茶が好きだから茶器。お酒が好きなので酒器です。特にぐい呑には思い入れがあります。

ちょうど自分が日本酒を好きになって飲むようになった頃、冷蔵のお酒が流行り始めたんですね。その頃からぐい呑をつくり始めました。日本酒は、冷酒か保温するかという飲み方になりますが、冷酒には、突立型のぐい呑より、開いた形状のほうが合うのです。ずっと、自分の中で飲みやすい形をつくってきて、その中で模索しています。口に入ってからどうやって流れていくかを考えて作っています。量的にも、江戸時代は返盃文化だから、ちびちび飲んでいましたよね。これは、今、ひとりでお酒を楽しむということも含めて、一度に入り過ぎない程度が良いと思っています。

茶器の話をすると、お茶屋さんに聞くと急須を使う人が減っているそうです。ですので、これからのお茶の飲み方を考えています。今のお茶のスタイルにあった形を目指しています。宝ひんは、抽出した後にさっと洗えばいいだけで手間がかかりません。

– 宝ひんの大きさもいろいろあるんですね。

はい。手でつくっていますので。割れたら合う蓋がありませんが、金継ぎしていただけたら。

– ぜひHULS GALLERYに寺内さんの作品を見に来てください。一部オンラインストアでも販売中です。

他には泉山の陶土100パーセントのものはありません。

<後半へ続く>

寺内信二さん コレクションページ
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