私は、工芸の産地を歩きながら、様々なことを学んでいる気がする。それは、地方の暮らしに憧れを持つということではない。都会で暮らしているからこそ、都会から離れて、産地までたどり着く道の途中で様々なことを感じ、そしてまた、たどり着いたその場所で、一つの美意識が育まれてきたというその事実に、多くのことを気づかせてもらう。誰か一人、何か一つからではなく、一人一人、一つ一つを繋ぎ合わせながら、何かを少しずつ学んでいるのだ。

中でも印象に残っているのは、滋賀にある黒田工房に訪問したときのことだ。それまでは、いくつかの工房を回る中で、「伝統」という言葉よりも、新たな作風に試みをしている作り手に共感することが多かった。黒田工房の代表である臼井さんも、イタリアのミラノデザインウイークで革新的な作品を発表するなど、新たな取り組みに前向きな印象を受けており、当然のことながら、その革新さについてのお話を聞かせてもらえたらと思った。だが、臼井さんは、一方で文化財の襖・屏風などを修復する伝統工芸に携わる生粋の職人でもある。言葉を慎重に選びながら、「伝統」というものを引き継ぐことの重さや難しさを語ってくれ、伝統工芸に関する私のそれまでの考えの浅はかさに気づかされた。

文化的な建造物の修復というのは、ただ壊れたところを直すだけの単純な作業ではない。時代によって、気候や環境は変化しており、その中で、最適な修繕方法を考えていく必要がある。中には、当時と同じ材料が手に入らないこともあるであろうし、技法的に同じような復元が困難なものもあるであろう。一つの選択の過ちによって、文化財全てが倒壊する可能性もあり、その肩に乗る重圧は計り知れない。それからは、伝統を受け継ぐということは、点と点を繋げることではなく、線を繋げていくことなのだと思うようになった。

先を行くものだけが「新しい」とは限らない。今の世の中では、インターネットを通じて、世界中の人々と会話ができることは当たり前だが、釘を用いずに組まれていく伝統的な組子の技術には多くの人が驚きを覚えるだろう。私たちは、日々新しいものを追いかけ、暮らしが少しでも便利で快適になるように、様々な商品やサービスを生み出し続けている。そうしたものを追い求める一方で、いつからか古いもの・伝統あるものが新鮮に映るようになってきたのではないか。器の世界では今でも古伊万里や古九谷の美を追求している作家は多くいる。小倉織を復元した築城則子さんは、能や歌舞伎の衣装に魅せられ、織物の世界に入ったのち、自身の故郷にあった小倉織の切れ端に出会い、一度は途絶えてしまった織物を復元することに成功した。今の時代に、そうした感性から物事を復元できる人はとても貴重だと思う。「古いが新しい」。そんな感性はきっとあり、今の時代の「新しさ」なのではないかと思っている。

文:柴田裕介
作品:「Ren/漣」KORAI(作り手:黒田工房)