ここ数年、頻繁に世の中で使われるようになった言葉の一つに「サステナブル」がある。「持続可能な」という意味を持つこの言葉は、地球環境や社会問題に向き合うことの大切さを教えてくれ、日々の暮らしの中でも、耳にすることが増えてきた。しかし、あまりに多用されてしまっているがために、「サステナブル=環境に良いこと」という意味で安易に人々に伝わってしまっているような気配があり、自分なりに「工芸におけるサステナブルとは何か」を考えるようになった。

私にとってサステナブルとは、時の移ろいについて想いを巡らせることから始まる。今すぐに、地球環境や社会問題に対して深く考え何かを実践することは難しいが、まずは、昔の暮らしはどうだったか、そこから今ではどのように変化したか、これから先はどうなるのかと、時の移ろいに想像力を働かせることを大切にしたい。子供の将来を思えば、自分の怠惰な暮らしは是正したいと思うだろうし、親の時代を思えば、今の時代がどんなに恵まれているかを知ることができる。時代の変化の中で、生きるために本当に必要なものはごくわずかであるが、人として生きている限り暮らしの進歩を追い求めたくなる欲もある。そんな相反するものを上手に調和させながら、社会全体のことを考え行動することが、サステナブルの第一歩であろう。

工芸品は、時間をかけて作り上げ、時間をかけて使い込んでいくものだ。私自身は、唐津のぐい呑や、開化堂の茶筒、上質な柿渋染の革財布などは、静かに経年変化を楽しんでいる。使い込むうちに、愛着は増し、やがては自分と一心同体のものにすらなる。そんなところにこそ、工芸の世界のサステナブルが見え隠れする。工芸品の経年変化を通じて、時の変化を意識し、そこに一つの美意識を生み出す。長く文化が繋がれてきた島国の日本ならではの考え方でもある。今の時代が良いものであれ悪いものであれ、変化していくことを意識することができれば、その道は明るい。まずは、今このときだけのことを考えるのをやめ、昔や未来の暮らしを想像してみる。それは、工芸を通じて広がる世界の一つであろう。

天然素材を主とする工芸品であるが、そうであるからサステナブルだというのは、一つの側面でしかない。工芸品は、素材としては天然のものであっても、簡単にリサイクルをしたり、すぐに土に返るものでもない。物を作ることは、人の生きる証でもあり、簡単に手放すことのできるものではないが、だからこそ、その一つ一つを手に取り、愛着を持つことがまずは大切な一歩になる。また、時代の波に流されることのない息の長い魅力が詰まっていることも、工芸の価値の一つであろう。石器時代の暮らしに戻ることはできないが、祖母が大切に使っていた帯を次の時代に繋げることならできる。そういうことが、私にとってのサステナブルなのだ。

文:柴田裕介
作品:「柿渋染 長財布」/ブルックリンミュージアム