ギャラリーでは、工芸品を取り扱っていることをお客様に伝えると、美術品との違いを聞かれることがある。工芸品も「美術工芸品」と称されることがあり、美的価値があるという点で、大きくは美術品の一種であるが、一般的には、美術品というと鑑賞目的が強く、絵画や彫刻のことを指すことが多い。

工芸品は、暮らしの道具

一方、工芸品は実用性が重視され、「暮らしの道具」であることが基本となる。例えば、漆器の汁碗であれば、どんなに加飾が施されたものであれ、汁椀として使用することを想定して作られている。今では、芸術的価値の高くなった抹茶椀や九谷の赤絵作品などは、時に実用性を度外視した作品もあるが、それは工芸品とは言わず、美術品と呼ばれることになる。鑑賞的な美しさも併せ持つが、使うことで育っていくのが、工芸品の最大の魅力なのである。

また、工芸品は、「伝統工芸品」や「雑器/雑貨」と呼ばれることがある。私自身は、このギャラリーを始めるときに、「伝統」という言葉と「雑器/雑貨」という言葉を極力使わないようにと心に決めた。器や織物を取り扱う日用品店は時に「雑貨屋」と呼ばれるが、今の時代に、丹生込めて作られた品を、作り手を前にして「雑貨」と呼ぶことはできないし、また、伝統的であることにのみ重きが置かれ、今の暮らしに合わない品となっているものは、すでに日常使いを前提とする工芸品ではないだろうとも思う。そしてまた「アート」という言葉も多用することを避けるべきだと考えている。英語では「Art」という言葉は多義的であり、芸術作品だけでなく、精神性や生き方をも含むもので個人的には好きな言葉ではあるが、日本での「アート」という言葉は、やはり見た目の「芸術性」という意味合いが強く感じられ、工芸の趣にそぐわない。

工芸に命を吹き込んだ民藝運動

その点では、かつて柳宗悦氏が民藝運動の中で「用の美」という言葉を用いたのは、工芸の世界に置いて、何よりも重要なことであった。工芸というものに新たな命を吹き込んだと言ってもいい。さらに、現代の工芸は、人が生み出すものでありながら、自然や地域性との接点が欠かせないところに、美術品とは異なる面白さがある。自然と共生した地域でのものづくりが当たり前だった時代から、時代は大きく移り変わり、日本の地方文化の奥深さが再認識されようとしている。

個人的には、美術品であれ工芸品であれ、その美しさは使い手の捉え方次第であって、どのように解釈しても、どのように使用してもかまわないと思っているが、「工芸」という言葉の本質を深く追求していくことで、作品の見方・捉え方が多様になることは、多くの人に知ってもらいたいと思っている。私たちは、大量生産品に囲まれ、全てが整っていることこそが美しいのだと感じるようになってしまっている。自然の領域は曖昧であり、答えは人が導き出すものでないからこそ、そこにわかりきらない気づきがある。工芸品は、一人の人間による一作品ではない。全ては連なりの中から生まれているところに、捉えきれない美が潜んでいるのだ。

文:柴田裕介